補装具なしでも歩ける様にするから俺を信じて頑張ろう。
回復期病院にリハビリで転院した時には左側の全てはもちろん感覚は無く、車椅子から立ち上がることが出来ない様な状態でした。
状態の酷さを見た先生は僕に何がしたいと尋ねました。
僕の回答は
渋谷のセンター街を歩きたいです。
その回答に先生は
それを叶える為にはまずは歩ける様にしないといけないな。ただ歩くのはそんな難しくないけど、やるからにはきれいに歩ける様にしたいな。渋谷のセンター街なら装具も外して歩ける様にしないといけないね。全力でやるから俺を信じてついてきて欲しいと言われました。
当時は感覚障害がひどいせいもあり、リハ中に先生の指導がわからない、わからない不安でいっぱいでとした。
でも先生が僕がリハ中にそんなことできないですわからないと言う度に掛けてくれた
このままじゃ嫌だろ!
絶対に出来るから俺を信じて頑張ろう
とかけてくれた言葉でいつも頑張ることが出来ました。
この言葉、この治療が次の回復期病院でこの時先生がどれだけの覚悟とご自分の資格をかけて治療に向き合ってくれていたのかを知り涙が出ました。今思い出すと感謝の気持ちでいっぱいです。後の辛い時に度々先生のあの時の言葉と先生の真剣な顔を今でも思い出します。
次の病院でのやり取りはこんな感じです。
次にリハを受けたOT先生が最初のPTの先生と同僚の時期があった様です。
仮に最初のPTの先生をF先生、OTの先生をS先生とします。次のOT先生をW先生とします。
W先生:SちゃんとF君からどんなリハを受けていた。
僕:こんな感じですごく辛くて大変でした。でも先生達は本当にすごく優しかったんです。すごい応援して頂いてるんだなって思ってました。
W先生:Sちゃんはすごい努力家だからSちゃんの知識とリハの技術力があって初めて出来る治療だね。私はSちゃんの治療で回復した今の現状でも私には悪いけどその治療は出来ないよ。下手したら自分の作業療法士の資格を失うことになるからね。F君もすごく勉強家ですごい優秀な先生だし、今のあなたがいれるのはOTのSちゃんとPTのF君がいたからだよ。あなたの状態を見るときっとF君も自分の全てをかけて治療してくれたんだと思うよ。内容を聞くとつくづくそう思うよ。
二人がいなければ今頃はきっと痙縮が酷くて左半身は絶望的だったろうね。本当によかったね。
最初のリハ病院でお二人の先生にどれだけすごい事をして頂いたのかは日記を書いていた事で鮮明に覚えてました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。日記に書いた事で忘れないでよかったです。