発症1ヶ月間は何が起きてなぜここにいるのかよくわからなかった。
だいぶ話せる様になり、どこまで覚えているかの確認がされていきました。
正直何が起きてなぜここにいるのかよくわからなく、そばにいてくれるのは家族であり、彼女であることは認識でしました。しかし、発症時の前後一週間の記憶がない。わからない。思い出せない。自分の身に何が起きたのか。混乱しました。
執刀医の先生に尋ねた所
ume:病気をした時を含め前後一週間の記憶がありません。
執刀医の先生:それはね、発症した時は想像を絶する苦痛を味わったから神様が思い出して辛くならない様に消去してくれたんだよ。
ume:前後一週間の記憶が無いのはなんでですか?
執刀医の先生:それに関しては時間が経つに連れてパズルのピースがハマる様に戻ってくるよ。
と言われました。今思うと先生は不安がる僕に最大限の安心ができる言葉を掛けてくれたんだと思います。
事実を受け入れる為に記憶のピースをはめる作業を行いました。
真相を知る為にお見舞いに来てくれた彼女の話を聞いて発症時一緒にいた事、彼女の判断のおかげで一命を取り留めた事を聞き、両親との初めましてが病院だったことを聞きました。話を聞く限り、嫌な話はあまりなく、ただ経過を笑いながら話してくれました。本当に大変なことをさせてしまった。この子のために元気にならなって喜ばせてあげなければ。よし頑張るぞ!!となりました。
この時の状況
発症時僕は営業リーダーをして忙しくしていました。たまたま彼女は同じ種類の仕事をしており、偶然にも営業エリアが重なる所で働いていた為彼女の悩みもよくわかり、彼女がいっぱいいっぱいになっている事がわかっていたのでいつも退勤後は決まって彼女を職場まで迎えに行き、家とは逆の彼女の自宅まで40分の道のりを送ってあげる日々になっていました。その為にはどうにかして残業しない無いで済むようにしなきゃいけないので通常より早く朝は出社し、お昼は食べず休憩も取らないで働く日々を過ごしていました。お客さんの家に伺うと無理しているからいつか死ぬよと指摘を受けていました。もちろん少しはそのことを知って送り迎えをさせていた罪悪感からかわかりませんが、発症してしばらくはずっと一緒にいるから無理しないでゆっくり一緒に頑張ろうと励ましてくれていました。純粋に受け止めていた僕はこんなに辛い思いをさせたのに励ましてくれる彼女に辛い思いをさせた分嬉しい思いをさせたいと辛いながらリハビリを頑張っていました。
とここまではよかったのですが・・・